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雑談

フロックで謝るべきか?

フロック(Fluke、フルークに近い発音。カエルのフロッグではないです)を出した後に謝るか謝らないか、というのをFumyさんが記事を書いてました。個人的にはフロックで謝るか謝らないかは場合によりますがたぶん、基本的に謝っていると思います。謝ると言っても手を挙げる程度のことも多いですけど。

ちなみに相手の反応については全然どっちでも気になりません。

あ、しいて言えばアンドセーフになるような球で隠れて、「すみません」とか言われると、「言わなくてよくない?」とは思います。まぁ、セーフティをする時に「すみません」という人もいるわけですからねー。あ、でも、わたしも相手が初心者の場合はなるべくセーフティしないようにしているので、試合などでC級やビギナーの人にセーフティする時は「すみません」って言うと思います。いろいろですね。

ちなみに、「フロックで謝るのは日本人的」と言うことをおっしゃる方がいらっしゃいますが、海外のプレイヤーでも手を挙げて謝罪の意図を伝えていることをがありますよね。これはポケットでも、キャロムでも見られると思います。フロックイン(ポイント)や、意図しないセーフティの時、両方で見られますよね。

さて、本題の「フロックで謝るべきか?」についてはFumyさんが書かれるように、謝って怒られることがないんだから、謝っておけばいい、というのは真実でしょう。このような理由でフロックで謝っている人も多いかと思います。

これは、パスカルの賭けの縮小版といった感じでしょうか?「神がいるなら神を信じた方がいいし、神がいないのに神が信じていたとしても別に失うものはない」といったもののですね。

でも、もしわたしが神について考えているならば、パスカルの意見を言われたところで何の慰めにもならない上に、なんら情報の足しになりません。神についてなら、むしろ侮辱されたと感じだろうと思います。

では、フロックについてなら?

フロックについて、このような立場は功利主義的な立場といえるでしょうか。つまり、フロックで謝った結果の、得失を考えた上で謝るかどうかを決めるという立場ですよね。相手に与える印象や相手との関係性だけでなく、フロックなのに謝らないことによって、自分のプレイに影響を与えるのが嫌だから、モヤモヤを残さないために謝るという立場も功利主義的な立場ですね。その謝った結果について重視する立場です。

 

これに対して、別の意見もあるでしょう。まず一つは、伝統を重視する考え方ですよね。「これまでビリヤードでは、フロックで謝ってきた(もしくはこの店ではフロックでは謝らなかった)」ので謝る・謝らないを決めるというものです。「郷に入れば郷に従え」という言葉もあるために、相手に合わせるというのもこの立場です。(「相手に合わせる」理由を、これまでみんなそうしている、に基準を置く場合ですね)

 

もちろん、そういうものとは別に、そもそもフロックは謝る「べき」なのか?を考えることもできるでしょう。つまり、謝った結果起こること、とは別に基準をおいて考えることもありますよね。

つまり、「マナーとして謝る」という文化があった時に、それによって相手や自分に与える影響(功利主義的立場)でなく、また「謝るのがマナー」というマナー自体を重視するわけ(伝統主義的立場)でもない第3の道ですよね。

 

これを考えるには、フロックが悪なのかどうかというのがポイントになってきそうです。一度考えてみましょう。悪いことをしたならば、謝るというのは正当性がありそうです。それでは、フロックは悪なのか?いくつか事例を考えてみましょう。

例えばテニスならば、ネットに触って相手のコートに入った時に相手に謝ると思います。これは、偶然性がゲームの結果に影響を与えることをよしとしないからでしょうか?

ゴルフでミスショットしたはずなのに、風のおかげで上手くいった場合は相手に謝る?謝らない?、なんか謝らなさそうですね。

麻雀で選択ミスをして、間違った方を切った(と思って後悔してる)のに、たまたまそっちのおかげで相手が振り込んでくれた場合も謝らなさそう。

格闘ゲームで、操作ミスで技が暴発して相手に当たって勝った場合は、暴発具合によるけど、わたしの周りだったら謝ってたかな。(「ごめんごめん」くらい)ちょっとした違いの場合はたぶん謝らなかったです。これは「この状況で、こんなアホなことをする意図はないよ」、ということを伝えているのかな。

サッカーでは相手へのタックルが意図せず相手を削ってしまった時などには謝っています(これはいかにも謝っている感じですね)、一方でシュートが相手に当たって(リフレクションして)ゴールに入った場合は謝っていなさそうです(アマの試合だと謝ることもあるのかな?昔、バルセロナのデコはそんなゴールめちゃ多かったけど謝ってる気配はなかった)

うーん、事例が少ないけど。

サッカーで相手を削ってしまった場合以外は、謝る場合は、結果は運でなく実力で決まるべきなので単なる運でポイントをとった場合に相手に謝る、こんなひどいチョイスやプレイをしたのにたまたま上手くいったけどこんなひどいことをする意図はなかった(相手を舐めている訳ではない)ことを伝えるために謝る、といった感じでしょうか。

両方共、悪いことをしたために謝るというわけではなく、「悪」とは無関係にプレイの補足説明として謝っているということでしょうか。

対戦相手を補足説明をすべき相手と考えているならば、謝った結果(功利主義)やマナー(伝統主義)とは関係なく謝るという感じでしょうか。プレイというのは、互いに勝利を目指すものでもあると同時に、コミュニケーションの一形態ですもんね。

そういうわけで、フロックで謝るべきかは、あなたが

・謝った結果として相手に与える印象、もしくは謝らなかった結果の自分のモヤモヤを解消するという、結果を重視する功利主義的立場。

・これまでみんな謝るというマナーがあるので謝るという、マナーによって謝る伝統主義的立場。

・これはフロックだよ、ということを明確に相手に伝えるという、コミュニケーションのために謝るコミュニケーション的立場。

の3つの視点のいずれかの立場として謝ってもいいでしょう。もちろん、状況によってこの3つの視点いずれの観点でも謝らなくていいフロックもあると思いますが。