わたしの好きではない言葉の一つに「当たりのノーマルシャフト」という言葉があります。
便利な言葉ですよね。なんとなく、「当たり」とつけることで明確に良いものというイメージをつけながら、特にどういったものなのかを述べないので、受け手よって感じる「当たり」と捉えてもらえます。
なんとなく、ズレ(トビ)が少なめ(人によってはやや少なく)で、打感がいい(打感がいいってどういうの?)、という印象があります。
ズレはなんとなくわかりますが、打感がいいっていうのは、コツンというかんじ?コキンというかんじ?ボソッっていうのはさすがによくなさそうです。ボソッという擬音を、無駄な振動の少ないトンという感じ、と説明したら良い印象を持つ人もいるかもしれません。
結局、当たりのノーマルシャフトが嫌いなのは、なんとなく受け手が好きに取れる良いイメージを語っているにすぎないというところでしょうか。そして、言葉の中に価値観(当たりの)を入れてるところ。
ちなみに他にもタップの解説を入れる時に、「弾力がある」なんてのも結構よいイメージの言葉なので、「硬いけど弾力がある」とか、「柔らかくて弾力がある」とかとりあえずつけとくといい感じになります。あ、積層タップだと「当たりの一枚革のような」タップというのも人によってはいいイメージですね。
(ふと思ったけど、ノーマルシャフトや一枚革のタップという「古典的なやり方(製法)はよい」論法が隠されているな。クリティカルシンキングあるあるの「伝統はよいもの」ですね)
バットの場合は「芯が通ってる」ですね。古典的な言葉だと、「ワンピースのキューのような」(一本モノのキューのような)ですね。ワンピースのキュー撞きこんだことなくても言っとけばいいです。どうせ日本に住んでいる人はみんな撞きこんでないから。
むしろ、こういう意味があまりなく良いイメージだけ伝えようとする言葉は削っていきたいなー、と日々思ってます。