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雑談

プレイスタイルの問題

とうとうアメリカの大統領が決まりましたね。びっくりです。トランプといえばだいぶ昔は不動産王として有名でした。その後、プロレスに出てたりして、いつのまにかアメリカのリアリティショウ「アプレンティス」に出てました。最近は「アプレンティス」のイメージしかない…

さて、今後どうなるのか…しかし、アメリカといい、フィリピンといい、結構過激っぽい(←フィリピンは「っぽい」いらない)人が国のトップになっていますが、これは歴史的な必然なのかもしれません。あれ?

少なくともアメリカは、世界を覆う冷戦構造後の新しい枠の模索って感じがしますよねー。

 

さて、なんか最近似たタイトルを使った気もしますが..

先日、知人たちが集まるお店に久々に遊びに行ってきました。

ここは、ぼくが一生懸命ビリヤードをやってた頃にいってたお店の元常連の一部が定期的に集まっており、そのメンバーに会いに。およそ3ヶ月~半年に一回くらい顔を出す感じでしょうか?

そこで会った(←会ったのはたぶん2回目)、まだC級の真ん中くらいの方のプレイとかストロークを見てると…

なんか小手先で球撞いてる。

なんていうか、肘全体でストロークというよりはチョンチョンと撞いてます。手首や握り込みあたりで撞く感じですね。別にチョンチョン撞くことはいいんです。あ、その方はちょっとストロークに問題があるな、と思いましたけど。

ただ、よく見るとそこにいるメンバーは全体的にそういうストローク

よく考えたらそこにいる一番上手い人がそういうストロークです。キューを大きく引いて振り抜いていくタイプの人もいますが(例えばこちらのブロガーの人)、逆に拳2個分くらいのテイクバクから拳1個分くらいのフォロースルーの人もいますよね?

このお店に集まってた人は全員後者のスタイル。あ、フォロースルーは少し長い人もいるんですが、肘でストロークよりも手首と握り込みって感じですね。

ちなみにこういうストロークってポケットだと14.1系のプレイヤーが多い印象です。狭いところで手球を細かく動かしますもんね。あと、典型的にはキャロムのボークラインのプレイヤーでしょうか?(あとバンドゲームも?)

手球をあまり転がさないで効かせるのに向いた撞き方だと思います。要は、いい悪いっていう話でなくて、得意な球と苦手な球の傾向ってことですよね。

ちなみにボークラインプレイヤーのあのキレは僕には絶対できる気がしません。同様に14.1の上手い人も狭い中でキレを上手く出しますよね。そのお店にいた上級者もそういうのは得意なタイプ。

一方でそこのプレイヤーは概ねブレイクが苦手でした。ちょっと納得ですよね。逆に先程リンクを挙げた大きなストロークのブロガーの方はブレイクにこだわりがあるっぽいです、たぶん。

 

で、何が言いたいかっていうと、先日そこで会った5人くらいの人が、それぞれの個性はあるもののだいたいみんな同じような方向性のストロークをしていたってことです。

あと、イレとダシのバランスってありますよね。どこまで無理して出すか?そしてどのくらいの精度で出すか?といったかんじ。

当然なのかもしれませんが、この比率もだいたいみんな一緒。もちろんプレイヤーによって腕が違いますが、それぞれの腕に応じて同じでした。

いやー、見事に同じようなプレイスタイルになるんだなー、とめっちゃ思ったわけです。そこがすごく面白かった!!

 

「お店ごとにプレイスタイルがある」ってのは当たり前なのかもしれませんが、そのお店に集まってたメンバーの同質性は結構なもので、これまで気づかなかったけど気づいた時は衝撃でした^^;;

 

そして、こういうのに気づくと、次は自分のことが気になりますよね?

 

あれ?自分のスタイルってどういうところから影響受けてるの??

自分が好むゲームや、ダシやイレのバランス、攻撃性(セーフティー性?)など..

やっぱり、自分の場合は最初に教えてもらったプレイヤー(といってももう10年以上どころかここ15年でも数回しか会ってませんが)の影響がとっても大きいです。

たぶん、実際には全然違いますが、基本その人のスタイルを追い求めているような気がします。

あと、セーフティーやプレイについてはWプロ(当時アマ)ですね。Wプロのセーフティー観の影響をめちゃ受けてます。

要は「ビリヤードは複数でやるゲームだし、相手がいるんだから、相手を尊重しないといけない」ってことですよね。(Wプロがこのままかどうか分かりませんが、その影響を受けた私の考え方)

もともと私は(ぬるいけど)格闘ゲーマーだったので、「あばれ」(相手のプレイヤーを見ないで好き勝手にやる人、往々にして強キャラ使い)というのに抵抗があるんですよね^^;; 相手に合わせてプレイしてなんぼ、と。

わたしはどこから来たのか、わたしは何者か、わたしはどこへいくのか。

いつもの問いが頭に鳴り響くのでした。