よく主語が大きいみたいな言い方をすることがありますよね。例えば、「わたしが気に入らない」というべきところを、「消費者への敬意が欠けている」とか言っちゃうとか。「そんなんじゃ世界で戦えない」みたいなのも、多くの場合は「わたしの好みではない」程度の意味だったりします。
逆に意味のサイズを小さくするってのもありますよね。例えば、「ビリヤードにおいては理論は役に立たない」といったことを言いたいのか、「机上の空論ばかり覚えても無駄」みたいな言い方をします。「机上の空論」というような価値判断が入った言葉を使うことで、理論全体を貶める(おとしめる)ってことですよね。
そんな小手先のテクニックばかりじゃ上手くならない、っていうのは、「小手先のテクニック」という価値判断が入った言葉が入っていますが、こう発言をされたところで、これは「テクニック全体が無意味」とは解釈しなさそうな気がします。
これとは違いますが、「センターショットばかりしている万年B級が多い」みたいな言い方をする人がいますが、これは「センターショットをしっかり練習しているプロ」もいたりしますが、「万年B級」という言葉をセンターショットと紐付けることでセンターショットを貶めることができそうです。(実際には万年B級の人のセンターショットの仕方に問題があると思いますが)
ちなみに、こういったように言葉の意味を大きくしたり小さくしたりってのはおおよそ、自分の好みで他者を上げたり下げたりすることに使えますよね。まぁ、ほとんどの場合は上げずに下げる気がしますけど。
こういういったものに対して反論をすると往々にして、「センターショットの本当の意味が分かってない人に言ったんだよ」みたいな反論がきて、「本当の」といった誰にも評価できないものに逃げ込まれたりします:->
「意味のサイズ」への2件の返信
あ!ぼくの感じてるモヤモヤが文章になってる!
しらつかさん;
ありがとうございます!まぁ、ごちゃごちゃ人にケチつけるなってことでしょうか^^;;
あと、反論するたびにゴールの位置を変える派の人は話しててイライラします:->
(本当のXXとか、XXの本質が分かってない、といいつつそれらを説明しない人もですが^^;;)