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雑談

エルメスのパンツ理論

みなさんはエルメスのパンツ理論というのをご存知でしょうか?

 

いや、わたしの造語なので知らないですよね^^;;

ちなみに、ここでいうパンツは通常のパンツのこと。いわゆるボトムズやズボンを意味していない、本物のパンツです。

この理論の内容は、エルメスのパンツ(←本当に売ってるかどうかは知らない)を履いている人は、ユニクロのパンツを履いている人よりも、同じ場面においてより緊張せず自信を持って活動できるというものです。

いやー、本当なんでしょうか^^;;たぶん、本当です。

実際には、例えば就職面接の場面や、相手との交渉時にパンツを相手に見せるわけではないので、どんなパンツを履いていてもその結果には影響は与えなさそうですが、実際にはそれを知っている自分には影響ありますよね。

もちろんエルメスのパンツなんか価値がない、と信じている人には意味がありませんけど。

エルメスのパンツはわたしは持っていませんが(←そもそも製造してるのかも不明)、実際にTシャツなんかはハイブランドといわれるメーカーのものと、ユニクロのもので品質について言えば大差なかったり、ユニクロのものの方が品質が良いなんてことはしばしばあります。

わたしが愛用しているユニクロのYシャツは、同じく愛用しているクリスバンアッシュのドレスシャツよりも、うちで洗濯できるわ、クリーニングに出しても120円くらいで洗ってくれるわ、着心地もいいわ最高です。デザイン性はユニクロクオリティですが、まぁそんだけの話です。

でも、デートの時はユニクロのシャツでは行かないかなー、とかは思ったりします:->(一方、デザイン性高すぎる服着てると、やりすぎ、と怒られそう)

何が言いたいかというと、鈴木さんの日記で、

「サウスっぽい」なんていうキューはよくあると思いますけど、もし本当に有名カスタムキューと全く見分けがつかないくらいのキューがあったら。

性能も遜色なく(むしろ良いくらいで)値段は安いとなったら。

そういうスーパーコピーはOK? NG?

という内容があったから。

これは、まさにエルメスのパンツを指していると思います。

 

話は少しズレますが、物を作る人たちの間でよくある「良いものは売れる」神話ってありますよね。これに関連して、知人が「昔のように品質の良い作品をコツコツと一人で作って、それで生活するなんてのは無理なのかな」と言ってました。

現代美術といわれるものは、その作品が作られた文脈や背景も込みで判断されますし(デシャンの泉が分かりやすいですよね)、そうすると作品の内部の芸術性(というものがあったとして)でなく、広い意味でのマーケティングがその作品の価値を決めてしまいます。

じゃあ、現代美術と言われないもの、例えば印象主義以前のものはどうだったかというと、微妙ですよね。マーケティング的なものから自由でいられたとは思えません。

また、それより以前でもダ・ヴィンチ、ゴッホ、フェルメールの絵画なんかの作品の価値は、その後の市場の中で価値が高いとみなされてきた部分が多いですし。もちろん、これはわたしたちが20世紀後半、21世紀から振り返ってみた評価に関してのものなんですが。

結局、ものの価値というのは、広い意味でのマーケティングや市場で決められている部分が多いです。それを加味しながら今日のパンツは、ユニクロなのか、カルバン・クラインなのか、エルメスなのかをわたしたちは選択していくということだと思います。

「エルメスのパンツ理論」への2件の返信

おはようございます。
自分はちなみに球撞く時はなるべく毘沙門天のパンツ履いてますよ(笑)
正月に七福神のパンツが売ってありまして、勝負の神様=毘沙門天の赤いパンツを見たとき、衝動買いしてしまいました(#^^#)

Tさん:
余計な情報が^^;;;

毘沙門天といえば、上杉謙信をイメージしますが、こういう内的なイメージってのは大事ですよね。試合でいつもゲンをかつぐというのはよく聞きますが、「運」の要素はたとえなくとも、心理的な面では影響ありますよねー。

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